第63回:依存とコダワリとドリームキラー

今回は僕らが持ってしまいがちな感情と呪縛についてお話してみました。

気を抜けばすぐにこの感情がムクムクっと湧き上がってきてしまいます。でも、これは自分や他人の可能性を殺してしまう危険な感情です。

そうならないためにも、僕らは自分と向き合っていかなければなりません。

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<ラジオ書き起こし>

よく、日本人が嫌うワードの中に、「依存」というものがあります。
確かに、依存というと、「薬物依存」とか、「ギャンブル依存」などというネガティヴなワードが紐づけられて連想されますから、依存=悪いものというイメージをもたれがちです。
でも、依存って、本当に悪いものなのでしょうか?というのが、本日のテーマです。
確かに、社会に所属して生きている以上、他人に迷惑をかける行為はNGだと思います。そう考えると、薬物依存などは、迷惑運転や暴力事件などにも発展しかねないので、悪いものと言えると思います。
では、ギャンブルはどうなのでしょうか?
パチンコにハマってしまい、抜け出せない人というのは一定数いるわけで、世間の風潮としては、「あまりよろしくない」という空気です。
これは正しく「抜け出せない」=「依存性が高い」=「中毒」=「悪いもの」というロジックだと思います。
でも、よくよく考えてみれば、誰かに迷惑をかけたりしないか限り、別に悪いわけじゃないですよね。単純にイメージの問題だと思います。
そういう意味で言えば、「タバコ」なんかもそうですよね。人に迷惑をかけずに楽しんでいる分には、別に問題はないわけです。
それらは「悪」だと断罪してしまう方が問題だと思います。
「やめたい!」と思っている人に、「そうだよ、体に悪いからやめた方が良いよ」と語りかけるのは全然問題ありませんが、「ギャンブルは悪いことだから止めるべきだ」とか、「タバコは百害あって一理なしだから止めるべきだ」といった感じで、その考え方が社会全体のコンセンサスのように語るのはいかがなものかと思います。
こういう目をキラキラ輝かせた自称善人が他人の夢を笑顔で潰しに行きます。
僕も若い頃「音楽で食っていきたい」と宣言していましたが、「悪いこと言わないから趣味にしておきな」と大人たちに言われたものです。「就職しておいた方が幸せになれるよ」とかね。
もちろん、ギャンブルやタバコとはタイプが違う話ですが、これらを「悪いもの」と断罪してしまう人の脳内の状態というのは、とても似通っているように感じます。
「その方が幸せになれるよ!」という「自称思いやり」が根底に流れていると思います。
でも、ギャンブルを心から楽しんでストレスを解消することで、より良い仕事ができるという人もいるでしょうし、趣味としてタバコを心から愛している人だっているんです。
そういう人たちにとったら、それをとられることの方が「不幸」だったりするわけです。
一見「依存」に見えるものというのは、場合によっては「その人の強いコダワリ」だったりもするわけです。
どちらも「やめられない」ということにおいてはイコールですが、コダワリとして続けている人にとっては、「やめたくない」ものでもあるのです。
だから、相手のやっていることに一言物申す前に、こういったことを考えられる自分でありたいなと思っています。
日本は、社会全体の空気がドリームキラー化しやすい国です。
それは、多くの人が抑圧された毎日を過ごす中で、みんなが守っている当たり前に合わない生き方を選んでいる人に対しての、「許さない」「許せない」という感情から来るのかもしれません。
要するに、我慢しているからムカつくんですね。
「こっちはこんなに頑張って社会が求める正しさを生きているのに、お前は自由にやりやがって!」という怒りに近いものです。
でも、時代を動かす人というのは、「異分子」であることが多いのもまた事実です。
そして、時代を楽しく、ストレスフリーに生きられるのも、また「異分子」です。
だから、ギャンブルとかタバコみたいな「一見悪そうなもの」であっても、決めつけずにいられる精神を身に付けていくことで、許せないものを減らしていく訓練をすると良いと思います。
社会はコダワリを持つことを嫌います。普通であることをよしとします。でも、普通が一番ストレスです。本当に好きなことや興味のあることに蓋をして、社会が認めてくれる価値観を生きるということですから。
だから、全てのものを「依存」と片付けずに、フラットな視点で観察してみましょう。
ということで、今回の放送はこんなところにしておこうと思います。